伊達 政宗


居城

伊達一族は昔からよく本拠地を移転しているが、政宗の時代は最も移転が多い。

 1. 米沢城(山形県米沢市) - 永禄10年(1567年)〜天正13年(1585年)
                 ※移転前年に当主となる
 2. 小浜城(福島県二本松市) - 天正13年(1585年)〜天正14年(1586年)
 3. 米沢城 - 天正14年(1586年)〜天正17年(1589年)
 4. 黒川城(福島県会津若松市追手町) - 天正17年(1589年)〜天正18年(1590年)
 5. 米沢城 - 天正18年(1590年)〜天正19年(1591年)
 6. 岩出山城(宮城県大崎市) - 天正19年(1591年)〜慶長5年(1601年)
 7. 仙台城(宮城県仙台市青葉区) - 慶長5年(1601年)〜寛永4年(1627年)
 8. 若林城(宮城県仙台市若林区) - 寛永4年(1627年)〜寛永13年(1636年)

仙台城

慶長5年(1600年)には仙台城、仙台城下町の建設を始め、居城を移します。 ここに、伊達政宗を藩祖とする仙台藩が誕生しました。石高62万石は加賀・前田氏、薩摩・島津氏に次ぐ全国第3位であります。

家康へ遠慮する意味から「太平の世に天守閣はいらない」と天守閣を設けなかったといわれていますが、実際の土地の形状をみれば天守閣など設けなくとも充分城下の様子が見てとれます。広瀬川が堀の役目を果たす自然の段丘そのものが城となって形成されています。 秀吉の聚楽第から移した大手門、千畳敷の大広間等、奥州の覇者、62万石の大大名にふさわしい城でありました。

仙台城鳥瞰図



  • 本丸 大広間(SG画像)

    《本丸 大広間》

    本丸 上上段の間(SG画像)

    《本丸 上上段の間》

    眺瀛閣(CG画像)

    《眺瀛閣(ちょうえいかく)》

    大手門

    《大手門)》

    ≪本丸≫
    大手門を抜け、左に折れた坂道をほぼ真っ直ぐに上り、中門(中の門、寅の門)を抜けると本丸入り口である詰門(つめのもん・現、護国神社鳥居)跡がある。 本丸の中央付近には中核的な施設である大広間、周囲には、詰門両脇に2基(西脇櫓・東脇櫓)、北東部には1基(艮櫓)、眺瀛閣の南に1基、計4基の3重櫓、1基の二重櫓、多門櫓などが構えられていた。
     天皇家や将軍家が訪れたときにのみ開かれる御成門があったが、一度も開くことはなく、大広間には藩主が座する上段の間の上に、天皇家・将軍家専用の上々段の間があったが、同じく使用されることはなかった。 また、清水の舞台のように崖に迫り出すように作られた懸造(掛造)の眺瀛閣(ちょうえいかく)からは仙台市内が一望でき、戦時ともなれば崖を登ってくる敵に鉄砲を浴びせることも想定されていた。

    《大手門)》
     楼門型式の櫓門で、桐や菊紋をかたどった飾り金具などが施されていた。 名護屋城の大手門を移築したものと伝えられているが、実際は名護屋城大手門を模したという意味の「写した」を「移した」と勘違いしたものではないかともいわれている。
  • 本丸 鳥瞰(SG画像)

    《本丸 鳥瞰》

    本丸 正面(SG画像)

    《本丸 正面》


  •    引用元
         仙台城 ウィキペディア
         伊達政宗 ウィキペディア
         CAD CENTER
              (http://www.cadcenter.co.jp/casestudy/detail.php?ID=vr0001 )