伊達 政宗


プロローグ

戦国時代の武将。
 「独眼竜政宗」「奥州王」とも呼ばれ、戦国武将の中でも名の知れた人物の一人でであります。
 例えば、「上司にしたい戦国武将ランキング」【リクナビNEXT 調査期間2010年1月28日〜2月10日】によると、伊達政宗は8位にランクされています。 また、(ゲームソフト)「戦国BASARA2武将人気投票」【集計期間:2006年10月13日〜11月1日】では、なんと1位に輝いています。
 そんな、伊達政宗に関して、いろいろと紹介していきたいと思います。
 伊達政宗をインターネット上や書籍などから調べていくと、宮城県民、仙台市民、歴女のグループはもちろん伊達政宗をとてもいい武将だと認識していますが、 そうではない方たちにとってはかなり冷めた目で見ている方が多いのに気付きました。そこで、あまり感情移入することなく、客観的に見つめながら紹介していきたいと思います。

なぜ独眼竜と呼ばれたか

 戦や怪我で片目を失ったのではなく、5歳の時に患った疱瘡(天然痘)により右目を失明し隻眼となりました。 それで、なぜ「竜」がつくかというと、中国の後唐の第一世昭宗・李克用が、片目でありながら英傑で、独眼竜と呼ばれた故事に発しています。

時代背景

 生誕は永禄10年8月3日(1567年9月5日)で、死没は寛永13年5月24日(1636年6月27日)であり戦国時代から江戸時代前期にかけて70年生きました。
 他の武将と比較すると、
   武田信玄(1521〜1573年)
   上杉謙信(1530〜1578年)
   織田信長(1534〜1582年)
   豊臣秀吉(1537〜1598年)
   徳川家康(1543〜1616年)
   直江兼続(1560〜1619年)
   真田幸村(1567〜1615年)
となり、織田信長や徳川家康よりも若かったわけです。
 室町幕府が倒れた時(1973年)が6歳、徳川家康が江戸に幕府を開いた年が1603年、政宗は36歳、そして死没した1636年は徳川三代目将軍家光の時代です。
 もし、信長や家康と同じ時代、20年、30年早く生まれていたならば・・・という仮定にインターネット上で様々な書き込みがあるのを発見。圧倒的に、否定的な内容でした。どうしても東北、という地の不利面が影響しているようです。



        (※今後、シリーズ化して定期的に内容を増やしていきます。お楽しみに)