杜 の 都

杜の都に関して様々な情報がありますが、最近ちょうど新聞に載った記事がありましたので、そっくりそのまま引用致しました。

仙台 なぜ 「杜の都」

                           2010/5/28読売新聞「仙台圏」から引用

「杜の都」といえば仙台・定禅寺通のケヤキ並木をイメージする人も多いだろう。 今年も新緑が生い茂る、さわやかな季節がやってきて、道行く人の心を落ち着かせてくれる。 ところで、仙台はなぜ、「杜の都」と言われるようになったのか。

仙台の歴史に詳しい東北学院大文学部の菊池慶子教授に、素朴な疑問をぶつけてみた。

「杜の都の始まりは、今から100年前、明治時代にさかのぼるんですよ」

そう切り出した菊池教授によると、当時、地元出版社が発行した観光パンフレット「仙台松島塩釜遊覧の栞」で 仙台を紹介したページに「森の都」との表記がされたのが始まりという。

城下町仙台は江戸時代、藩が武家屋敷や寺社に植樹を奨励し、武士や庶民が競うように緑を育てた。 建築材や薪を確保するため、成長の早い杉や松、カエデなどが生垣に、備蓄用の食料として柿や栗などの果樹が庭に植えられた。

青々と茂る緑は、高台から見下ろしても趣があり、仙台に鉄道が開通した明治以降、観光スポットとして全国に知れわたった。 だが、1945年、戦災により、一夜にして焼け野原となった。

そこで、戦災復興とともに、かつての緑を取り戻そうと、仙台市が51年に青葉通り、58年に定禅寺通のケヤキを植えた。

さらに市は73年、全国に先駆けて「杜の都の環境をつくる条例」を制定。 それまで「杜」は「森」と混用されていたが、ここで初めて「杜」が公式表記となった。 市の担当者は「自然の『森』に対し、『杜』は人間が手を加える意味合いが強い」としている。

今から60年前、市に造園技師として初採用され、退職まで緑地行政ひと筋だった八川透さん(84)と25日の昼下がり、記者は定禅寺通を散歩した。 当時1b50ほどだった苗木は、見上げるほどの大木に。成長した我が子そのものだ。

だが、八川さんは幹に触れると、顔色を曇らせて語った。「こんなに黒くなってしまって」。 車の排気ガスに含まれたコールタールが付着した影響だという。

記者もケヤキ1本1本に目をやってみる。 すると、建物にぶつからないよう枝が剪定されているため、不格好で貧弱。かわいそうに思えてきた。

「のびのびと枝を広げて育つ山のケヤキと違い、街路樹は劣悪な環境にさらされるため、通常ならば500〜600年の寿命が100年足らず」だと八川さん。

ケヤキ並木は人間に翻弄される歴史をたどってきた。 近年は、市の地下鉄東西線建設に伴い計44本が移植・伐採されたほか、昨年8月には長年繁殖したキノコによる腐敗で1本が根元から倒れた。

ケヤキ並木には、かつての杜の都の風景を取り戻したいという、当時の人たちの強い思いがあった。 その思いがいつまでも受け継がれることを願いたい。